え?それはモンゴル語だった?

韓国の時代劇を好んで見る人なら、王の食事を指す「スラ」とその料理を作る台所を意味する「スラっカン」という言葉を聞いたことがあるだろう。日本でも人気だった『宮廷女官チャングムの誓い』では「スラッカン」で働いてる人はほとんど女性だったのに対し、同じく宮廷料理のシーンがよく出てくる『哲仁王后 』では厨房にいる人が男性なので不思議に思った人も多いはず。どれが真実だろうか? 実は料理をするのは男性で、女性は簡単なおやつなどを作ったり、食べ物を運ぶ役割だけを担当していたのだ。

「スラ」という言葉はモンゴル語から来た。 高麗はモンゴルの侵略を受けて、モンゴルが建てた征服王朝である元(げん)の「婿の国」になる。高麗の王は元の王女と結婚し、王の名前にも忠烈王、忠恵王、忠正王などの「忠」の文字を入れなければならなかった。これによりモンゴル風というものが流行するようになり、当時の言語はもちろん名前や服装、文化まで多くの影響を受けるようになった。 韓国人の「国民酒」とも呼べる「焼酎」や結婚式で花嫁がつける「ヨンジコンジ」や「チョクドゥリ」もモンゴルから伝わったものだ。

言葉にもモンゴル語のなごりがある。王様や王妃様を呼ぶ「ママ」や結婚相手の家族を指す「サドン」もモンゴル語由来。人や魚などの後ろにつけて格が低いと示す「チ」もモンゴル語から来ている (注)

 食文化も遊牧民族だったモンゴルの影響で肉食に変化し、それまで米からすべての栄養を取ってきた韓国人だが、その茶碗は、時を経るにしたがって小さくなっていく。ちなみに高句麗時代の成人の1食のご飯の量は1300グラムで、高麗時代には1040グラム、祭祀などで多様なおかずが摂取できた朝鮮末期にも1食約420グラムを食べたという。初めて朝鮮を世界に紹介したハメルは 「朝鮮漂流記」の中で「朝鮮人はご飯をたくさん食べる」と書いている。

朝鮮の監理だったチェ・ブが記録した『漂海録』。済州島に向かう途中で漂流し、中国を経由して朝鮮に帰還するまでの148日間の様子が綴られている

朝鮮の監理だったチェ・ブが記録した『漂海録』。済州島に向かう途中で漂流し、中国を経由して朝鮮に帰還するまでの148日間の様子が綴られている

モンゴルは日本の征伐のために主に済州島を拠点にしたので、済州島はモンゴルの影響を最も多く受けた。現在、韓国語にはモンゴル語から伝わった単語が約500余りあるが、そのうち半分以上が済州道の方言だ。

動物に関して言えば、特に鷹や馬に関連した言葉が多く残っている。狩猟用の鷹をなっている指す言葉で、ソウルの街の地名になっている「ボラメ」は紫のモンゴル語の「ボラ」と鷹の韓国語「メ」が合体した言葉だ。この鷹の色が紫色だったため韓国でも色を表す言葉が増えたのだ。

注) 魚の名前は○○や○チが多いがこれは鱗があるかないかの違いである。普通、スラには鱗がないことを不吉だと考え、○チの名前が付いた魚は出せない。


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